結婚という愛の保証について
「あなたは生涯、
この人を愛すると誓いますか?」
「誓います」
結婚式で当たり前のように
交わされるこの誓いに、
突然違和感を感じ始めた。
なぜ、愛を誓い合う必要があるんだろう?
相手を愛しているのだとしたら、
本当に愛し合っているのだとしたら、
それ以上でもそれ以下でもない。
それで最高に完結しているはずなのに、
わざわざ誓いをたてる意味ってなんだ?
愛を誓うことで
互いに愛を与え合っているようでいて、
自分を生涯捨てないでくださいねという
不安を塗り隠した束縛が
その裏側に隠れているような気がした。
あまりに私が卑屈すぎるだろうか。笑
でも、なぜだか誓いを立てたその瞬間に、
「自由で大きく広がっていたはずの愛」が
急に「何かによって縛られたもの」
に変わるような気がしてならない。
「神との対話」の中で、結婚について
こんなふうに語られていた。
愛に「永続性」あるいは永遠をもたらしてくれる方法として、唯一考えついたのが結婚だからだ。女性にはサポートや生存が保証される唯一の方法で、男性にはつねにセックスとつれあいを保証してくれる唯一の方法だからだよ。だから、社会的なしきたりが創られた。取引が成立した。あなたがこれをくれれば、わたしはこれをあげる。まるでビジネスだね。
できあがったのは、究極的な不安の宣言だ。結婚が無制限で永遠で自由な愛につながるなら、それは究極的な愛の宣言だ。だが、いまのあなたがたは、自分の愛を約束か保証のレベルにまで引き下げようとして結婚する。結婚は「今の状態」が永遠であることを保証しようとする努力だ。
その保証をあなたがたは何に使うか?第一に、安全を保証する手段として使う。第二に、その保証が永遠に続きそうもないと相手を罰する手段として使う。いまでは、結婚の約束が破られると裁判が起こされるね。こうして、あなたがたは結婚がとても役に立つものであることを発見した。
要するに、結婚という制度が
愛への不安からくる身の安全を守る
保証として使われているということだ。
もちろん全てのカップルが
そうだとは思わないけれど。
例えば世の中の多くの女性たちが、
こぞって「結婚したい」と言う
理由はここにあるのだろう。
よくよく考えれば、
結婚という制度も法律も、
どこかの人間が勝手に作った謎ルール。
それになんの疑問も抱かず
受け入れきっていた自分にもちょっと笑える。
だけど、結婚という制度が
悪だとか不要なものだとは思わない。
心の安定を相手から得るためにではなく、お互いに贈り合いたいから、それによって相手をもっと豊かにしたいから、私たちは結婚する。互いをコントロールしたり束縛するために結婚するのではない。義務を生み出すためではなく、成長する機会・究極の一体化を実現する機会を与え合うために私たちは結婚する。わたしたちは指輪を交換する。始まりも終わりもない、太陽と地球と宇宙のシンボルである丸い輪を、支配でなく合体、制約でなく協力、束縛でなく手を繋ぎあうシンボルとして。
結婚は墓場だとか言うけれど、
結婚という愛のひとつのカタチが
自由と対極にあると捉えられているのは
少し悲しい。
本来、愛は束縛でもなんでもなくて、
むしろ究極的に
自由を創り出すものなんだろうなと思う。
本来持っている人間の純粋な愛が、
もっと自然で自由に表現される
世界になるといい。
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