Purusha blog

光に還るものたちへ

本当の強さとは、なにか?

強さとは、なにか?

 

勝利、支配、忍耐、不屈。
誰かとの勝負に勝ち続けること。
自分の欲求をコントロールすること。
苦しくても弱音を吐かず耐えること。
何があっても諦めないこと。

 

人それぞれ、いろんな
「強さ」の定義があるだろう。
もちろん、いろんな定義があっていい。
 
しかし私にとって、
これらの強さは本当の強さではない。
それは、言うなれば、『足掻き』だ。
 
自分の弱さから目をそらすための、足掻き。
 
 
人は、もともと、強くない。
 
能力を発揮できないことを恐れ、
人から嫌われることを恐れ、
こんな自分ではいけないと不安を覚えては、
自分の存在価値を確認しようとする。
 
人間は、弱い生き物だ。
 
誰かがいないと寂しいし、
批判を浴びれば傷つくし、
一度した決意も時間が経てばブレていき、
描いた自分の完璧さを体現なんて
中々できたもんじゃない。
 
 
でも、それが人間なのだ。
誰一人、例外なく、そうなのだ。
 
子どもの頃からずっと変わらない。
大人になっていくにつれ、
見ないフリをして奥に封じ込めることが
いつの間にか上手くなっただけだ。
 
 
「本当に強い人とは、
自分の弱さに向き合うことができる人」
だと、私は思う。
 
 
強い人は、自分の弱さを知っている。
自分がただの人間だということを知っている。
自分が完璧じゃないということを、
それでもいいということを。
 
強さとは、自分自身への赦しなのかもしれない。
 
 
 
なぜ、自分の弱さに向き合おうと
している人は美しく見えるのか。
 
逆説的で不思議なものだが、
それは、弱さに向き合う姿にこそ
人間の強さを感じるからだ。
 
 
自分の弱さを認めることは恐いもの。
 
その弱さを直視して
もしもそれを認めてしまえば、
今までの自分を否定しなければいけないような
自分の価値が本当になくなってしまうような
どん底に落ちて
もう二度と戻って来れないかのような
そんな恐れを抱いて
目を背けたくなるかもしれない。
 
認めてしまえば、
その時点で、前の自分には戻れない。
そういった意味で、弱さを認めることは
これまでのサイクルの崩壊とも言える。
たしかにそこには、
恐れや痛みが伴うこともあるだろう。
 
 
だが、自分の弱さを認め赦したその先にこそ
光があり、真の再生があり、
より大きな自分が待っているのだ。
 
 
人は、弱くもあり、強くもある。
人間はもともと弱いと言ったが
同時に私は、人間の持つ、
光を見出す強さを心底信じてもいる。
 
 
絶対的な強さなどない。
弱さを克服した人を強い人と呼ぶのではない。

自分の弱さはなくならない。
その弱さはあってもいいのだ。
 
この世に「強い人」など存在しなくて。
「強くあろうとする人」、いるのはそれだけ。
 
自分の弱さを真っ直ぐ見、
向き合おうとしている姿を
人は強さと呼ぶだけだ。
 
 
 
 
 
 
 
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